作曲CD

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作曲CD

トルティージャ ギター教室の講師である私、大場 俊郎が作曲・演奏したCDです。
クラシックギターの優しい音色ならではの曲に仕上げました。

CDにてご購入頂けますので、ご希望の方は是非お申込み下さい。

オーロラ

aurora

トラックNo. 曲名  作曲者
1 エストレリータ M. Ponce
2 オーロラ 大場俊郎
3 星めぐりの歌 宮沢賢治
4 星の散歩 小野リサ
5 星に願いを L. Harline
6 黒いオルフェ L. Bonfa
7 鐘の音 J. Pernambuco

2005年、宮城県大崎市在住の写真家猪股昇助さんが
「極光の光オーロラ 四季東北・北海道」と題した写真集を出版するに際し、
「オーロラ」というオリジナル曲があった私は、猪股さんからご依頼を受け、
それに関したCDを作ることにしました。

内容も7曲中5曲は星に因んだものですが、その写真集の出版記念
パーティーで生演奏をさせていただき、会場でもBGMとして流させていただきました。
私としても初めての自作CDであり、時期まで間に合うようにと練習をしました。
そして寝静まった夜中の自宅録音を元に、知り合いのレコーダーで
若干の音質加工をさせて頂き仕上げました。

猪股さんにはオーロラ繋がりで、このきっかけがなかったら
何もしなかったのではないかと思い、
貴重な機会を頂いた事に感謝申し上げます。

支倉常長讃歌

hasekuratunenaga

支倉常長は仙台藩主伊達政宗公の家臣であり、政宗公の命を受け、スペイン国王、ローマ法王に謁見し、宣教師派遣・スペイン領国との通商を結ぶという目的で、1613年(慶長18年、常長43歳)180余名を率い、ガレオン船「サンファン・バウティスタ号」で、石巻市の月の浦港から出航した人物です。この使節は歴史上「慶長遣欧使節」と呼ばれます。

常長出航2年前の1611年(慶長16年10月28日)には「慶長三陸地震」といわれる大地震が発生し、仙台藩の沿岸を大津波が襲い甚大な被害をもたらしました(2011年に起きた東日本大震災と同じような規模とも言われます)。震災復興の最中、常長は、新たな未来を切り拓く使命感を持って出航したに違いありません。

出航から7年後に、交渉の実を得ないまま日本に帰国をするのですが、その時世、徳川家康のキリスト教禁教令が厳しく、スペインでキリスト教に改宗し、ローマ市公民権を得、目的の交渉を進めてきた常長にとっては失意の帰国となるのでした。政宗公も幕府に従い、藩内のキリシタンを処刑したりするのですが、常長に棄教を迫ったかどうかは知られていません。常長は帰国2年後に病死したとされています。

このCD「支倉常長讃歌」は2011年慶長使節出航400周年を機に、彼の人生、偉業を讃え、組曲として構成し、マンドリン・オーケストラで綴りました。

No. 曲名 イメージ
1  序曲「サダメ」 政宗公の命を受け、その大儀、大任を背負った、常長の揺れ動く心情を表しました。
2 常長、いざ遥かなる国レバンテへ レバンテとは地中海西部に吹付ける東風、又はスペイン東部の地中海沿岸地域、という意味で、常長らがサンファン・バウティスタ号と共に、一行がローマを目指し、航海している様子を表しました。
3 ドン・フィリッポ・フランシスコ・ファシクラ~洗礼 常長がローマに入る前のスペインで、キリスト教の洗礼を受けました。イスパニア国王フィリッポ三世と、聖フランシスコの名前を二つ重ねた立派な洗礼名です。
4 マドリガーレ~支倉使節団ローマ入市、法王謁見 1615年10月20日使節一行はローマに到着し、同29日には盛大な入市式が行われました。11月3日支倉らはバチカン宮殿枢機卿会室においてローマ法王パウロ五世に謁見し、政宗からの親書を奉呈しました。この入市と法王謁見時の話合いの様子を、16世紀以降、イタリアで発達した多声世俗歌曲マドリガーレという形式で表現しました。
5 終曲「ふたたび」~大海の彼方 「ふたたび」という言葉には、いろんな意味があります。再度日本へ向かうという意味、あるいは二旅とあてて常長の最期という意味、あるいは再生とかやり直しとか・・・・いろんな意味として捕らえていただければと思います。常長は出航から7年後に帰国し、その2年後52歳で病死したとされています(別の説もあるようで、疑問が残ります)。常長の最期は、目を閉じながら、きっとサンファン・バウティスタ号と共に潮風を感じ、海を渡り、歩き続けた全てのことが走馬灯のようにまぶたに映って回想したに違いない。